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千葉家庭裁判所 昭和48年(少)1633号 決定

少年 Y・Y(昭三二・五・二五生)

主文

本件について少年を保護処分に付さない。

理由

第一本件送致事実

少年は、昭和四八年四月四日午後八時二〇分ころ、千葉県市川市○○○×丁目×番××号先路上において、A(当時一四年)に因縁をつけられ、さらに手拳で顔面を数回殴打されたことに憤慨し、所持していたこうもり傘を振り回して同人を殴りつけ、よつて同人の左側頭部にこうもり傘の先端部による刺創を与て、同月八日午後〇時二三分、同所×丁目×番×号所在の○○病院において、右傷害に基づく小脳挫創により同人を死亡させたものである。

第二当裁判所の判断

一  構成要件該当性

(1)  本件記録に編綴された各証拠、当裁判所の領置した証拠物および少年の当審判廷における供述によれば、少年が、昭和四八年四月四日午後八時二〇分ころ、千葉県市川市○○○×丁目×番××号先路上において、A(当時一四年)に因縁をつけられ、さらに手拳で顔面を数回殴打されたこと、およびその直後少年が所持していたこうもり傘の先端部(昭和四八年押第一二三号の三)がAの左側頭部に突き刺さり、同人が、同月八日午後〇時二三分、同所×丁目×番×号所在の○○病院において、右刺創に基づく小脳挫創により死亡した事実を認めることができる。

(2)  こうもり傘の先端部がAの左側頭部に突き刺さつたのが、少年のどのような行為に帰因するかについて判断する。少年が、Aにより殴打された後いかなる行動に出たかについては、これを目撃している可能性のある者は、たまたま通りかかつた少年の父であるY・D、Aと行動を共にしていたAの兄であるBおよびその友人であるCの三名であるが、いずれも少年がAをこうもり傘で殴つたとか突いたとかという事実は認識していない。これに対し、少年の司法警察員に対する自白調書には、傘をAの方に突き出した旨の、および同人の司法警察員に対する供述調書には、こうもり傘を振り廻した旨の供述記載がそれぞれあり右Y・Dの司法警察員に対する供述調書には、事件後Aを病院に運んだ後に少年が、右Y・Dに対し「こうもり傘を振り廻したような気がするけど、よく覚えていない。どうして刺さつたかもよくわからない。」と述べた旨の供述記載がある。しかし、仮に少年がこうもり傘でAの頭部を突いたとか、Aの頭部をめがけてこれを振り廻したとかすれば、右三名の目撃者の内の誰もこれを認識していないということがあろうとは考えられず、少年の行為は事態の推移を目撃している者にも格別の攻撃的行動とは写らなかつた程度のものであつたと推認できる。なお右Y・Dの目撃した位置は現場から一四メートルの距離にあり、かつ、同人は、現場から目を離したこともあつたが、BおよびCの目撃した位置は至近距離であつて、照明がなく暗がりではあつても、上記の推認を妨げるには至らない。Bの司法警察員に対する供述調書には、Aに殴打された少年がAを殴ろうとしたのに対し、Bが少年を押して制止したけれども、少年がAを手拳で殴り、その後Aが倒れたとの旨の供述記載があり、Bが事態をその程度にまで認識していること、そしてその程度のこととしか認識していない間にこうもり傘の先端がAの左側頭部に刺さつたことが窺われるのである。

(3)  これに対し、少年は、当審判廷において、背後から相手に腰のあたりをつかまれたため、それを振り払おうとして、左側に一八〇度振り向き、こうもり傘で振り払う恰好になつたと供述しており行為の態様としては前記の各事情に照らせば、この供述は十分信用できる。従つて、少年がAにより殴打された時点と、こうもり傘の先端がAの左側頭部に突き刺さつた時点とを結ぶ少年の行為としては、少年が、左側から後を振り向きながら、背後から腰のあたりをつかんでいる者に対し、右手で所持していたこうもり傘でこれを振り払つたという事実を認めることができる。なお、本件刺創は、頭蓋骨陥没骨折を伴つており、この事実は突き刺す力が相当強かつたことを示し、従つて上記認定の行為では起り得ない結果であつて、少年の行為はもつと攻撃的なものであつたと言う余地がなくはないが、その部位は左耳介付着部より後方約三センチメートル、下方約三センチメートルのところであるから、頭蓋骨としてはそれほど強い部分ではなかつたとも考えられ、右事実をもつてしても上記認定をくつがえすことはできない。

(4)  この腰のあたりをつかんでいた者がAであるか、それともBであるかは本件にあらわれた全証拠によつても確定できず、従つて、なおどういう過程でこうもり傘の先端がAの左側頭部に刺つたかは確定することができないが、少年のこうもり傘で背後の者を振り払う行為は、人に対する暴行の故意のもとになされており、その暴行により、人に傷害致死の結果を生じさせているのであるから、少年の行為は刑法二〇五条一項の構成要件に該当すると考えられる。

二  違法性

(1)  少年は、当審判廷においては、本件が防衛の意思に基づく行為である旨を供述し、司法警察員に対する自首調書および供述調書には、いずれも、少年が殴打され憤激して前記行動に出た旨の供述記載がある。そこで、本件が正当防衛に該当するかどうか判断する。

(2)  まず、客観的事実について考えると、前記各証拠によれば次のとおりの事実を認めることができる。

(イ) 少年は、一人で、夜間、やや暗い歩道上を歩いて帰宅していた。

(ロ) 少年が同方向に歩いているAら三人を追い越した後、Aが、少年の後を追つて来て「何だ、お前」と因縁をつけ、さらに少年の在学する中学校名を尋ね、少年が有職少年である旨答えると、「ふざけるんじやない」という旨を言い、いきなり手拳で顔面を数回殴打し、逃げようとした少年に対しさらに背後から頸部を殴打した。

(ハ) そのころにはBおよびCの二名もその現場に来ていた。

(ニ) 少年は、殴打された勢いで、路外に転落しそうになり、逃げようとしたが背後を掴まれていたため逃げられなかつた。

(ホ) その際の暴行により、少年は顔面挫創、頸部挫傷により口腔内二針縫合と、約一週間の通院加療を要する傷害を受けた。

以上の事実の後に、少年は掴まれているのを振り払う恰好で、左側から後を振り向きながら、右手で所持していた洋傘でこれを振り払つたのであり、さらに、

(ヘ) 洋傘は、柄が緩んで抜け易くなつており、少年は、柄の付け根の付近を持つていた。

従つて、本件致死の結果を引き起した兇器は、特に人を殺傷するに足りると通常考えられるものではなかつたのである。以上の客観的事実に照らせば、少年の行為は、Aの少年に対する急迫不正の侵害に対し、少年の身体を守るためにやむを得ない相当性を有する行為でないとは到底言うことはできず、外形的には正当防衛に該当すると言わなければならない。

(3)  次に防衛の意思について判断する。ある行為が防衛の意思に基づくものであるか否かを判断する場合にも、他の主観的要素の判断と同様、行為者の供述に頼り切ることなく客観的要素により十分合理的に説明しうる内心の意思を探究しなければならない。特に、本件のように、年少少年の場合には、少年の被影響性の大きいことを考えれば、主観的要素を少年の供述のみに頼るのは危険である。

本件の場合には、以上のとおりの客観的事実を少年は認識しており、これに対し、Aの暴行がさらに続くと恐れたのであり、この事実に照らせば、特別の事情のない限り、少年の当審判廷における供述が信用でき、少年の行為は防衛の意思に出たものでないとは言えず、正当防衛の成立を防げる主観的悪性があつたとは考えられないことになる。本件には、このような特別の事情はなく、逆に、次のとおりの、少年が攻撃的性向を有し難いと推認しうる事情がある。

(イ) 少年は、乗り物に酔いやすく、本件当時も、勤務先からの帰途、バスに酔つて吐き気を催し、そのためバスを降りて徒歩で帰宅途中であつた(この事実は、逆に、少年が気分が悪く、些細なことにも立腹しやすい心理状態になつていたことを推認させることもできるが、次の事情と相まつて、少年の攻撃性を減殺する資料と考える。)。

(ロ) 少年には、これまで暴力的傾向は何ら見られず、むしろおとなしい子供だと見られていた。

(ハ) 前記各調書の供述記載部分は、少年が、取調べ担当者に執拗に尋ねられた結果、それに影響されて述べたものであつて、任意性に疑いがあるわけではないが、前記各事情に照らせば、証明力は格別強いとは言えない。

よつて、本件は防衛の意思に基づく行動であると認定する。

三  要保護性

(1)  以上のとおりであつて、本件について当裁判所が資料となし得た全証拠によつても、当裁判所は、少年の本件行為が、傷害致死として、刑法二〇五条一項の構成要件には該当しても、同法三六条一項の正当防衛に当たらないという心証を形成することができない。しかし、BおよびCをより詳細に取り調べれば、なお少年の罪責に影響を与える事実、例えば、背後から少年を掴んでいた者は誰か、Aの攻撃は継続していたのか等につき、上記の事実より明確なことが判明し、また上記と異つた事実が明らかになるかも知れない。

(2)  しかしながら、少年には、前記のとおり、格別暴力的傾向はなく、これまで補導歴も全くなく、少年の反省の情も顕著であり、Aの遺族との示談も成立しており、雇傭関係にも格別問題はなく、少年の家庭がやや混乱していることを除けば、少年に特段の要保護性は見当らない。家庭の混乱も、少年に現在必要な程度の愛と保護に欠けるという程度のものではない。

(3)  そうすると、敢えて少年に対し保護処分で臨むため、なお不確実な見通ししかない事実の探索を続ける実益はないと言わなければならない。

四  結論

よつて、本件は、少年を保護処分に付することができない場合であると認められるから、少年法二三条二項により、少年が、本件についての罪の意識を払拭し、その上でさらに人の命の貴さに思いを致し、新しい出発をすることを期待して、主文のとおり決定する。

(裁判官 江田五月)

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